大型図録本 唐津 原色愛蔵版 作品集 写真集 日本の陶磁 古唐津図鑑 KARATSU WARE
責任編集 林屋晴三
監修 谷川徹三・川端康成
中央公論社
1974年初版
188ページ
約36x27x3cm
作品写真図版フルカラー
函入 布張上製本
※絶版
フルカラー大型図録本、古唐津図鑑。
桃山時代文禄慶長の頃から江戸時代にいたる、桃山茶陶を中心とした古唐津焼の厳選された優品275点304図を収録。
唐津焼は、東の瀬戸とともに、やきものの代名詞になるほどに親しまれた。
同時代の美濃陶との関連をふまえて全作風を網羅。
茶碗、花生、水指、茶入、香炉などの茶道具から、向付、片口、壷、皿、小鉢、酒器、徳利、ぐい呑みなど日常雑器にいたるまで、作風別に整理分類して掲載。
フルカラー写真に加えて、巻末には全作品の寸法、見どころ、技法、作風、伝来、所持来歴などを詳細に解説。
また、巻末には各古窯の出土陶片カラー写真を多数掲載。
唐津焼古窯の分布地図、唐津古窯を系統別に分類し、各窯の陶技分類を一覧表にまとめたものを収載。
作品名については、KARATSU WAREとして全作品に英文表記あり。
監修は、
谷川徹三(昭和を代表する哲学者・国博物館次長・法政大総長等を歴任し、古今東西の思想・宗教・政治・文学・美術に及ぶ広範な評論活動を展開)
川端康成(小説家・文芸評論家。大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍)
責任編集は
林屋晴三(日本陶磁史、とくに茶陶の研究を進めた東京国立博物館名誉館員。日々茶の湯を実践した数寄者、東京国立博物館次長、裏千家茶道資料館顧問、頴川美術館理事長、菊池寛実記念智美術館館長などを歴任、博物館や美術館における展覧会活動には終生関わった陶磁史研究の第一人者)
監修者、責任編集者ともに昭和後期最高峰の内容を誇り、参考文献としても多く引用されてきた一冊。
美術館・博物館所蔵の重要無形文化財、在銘名物から、
めったにお目にかかることのできない個人蔵の銘品優品を多数カラーで写真解説したもの。
大型本のため、各作品の写真も大きく、細部まで見て楽しむことができる、
唐津焼作家、陶芸家、古唐津、桃山茶陶、酒器、茶道具、侘び茶、骨董品愛好家等に必携の、内容充実・
古唐津鑑賞、年代鑑定などに欠かせない知識満載の大変貴重な資料本です。
【目次】
図版
唐津 カラー写真図版
出土陶片 カラー写真(飯洞甕窯、岸岳皿屋窯、帆柱窯、山瀬窯、道納屋窯、甕屋の谷窯、道園窯、安房谷窯、藤の川谷窯、一ノ瀬高麗神窯、内田屋窯、多久高麗谷窯 ほか)
解説 林屋晴三
唐津
作品解説
唐津焼古窯跡分布図
唐津古窯と陶技分類(岸岳系、松浦系、武雄系、多久系、平戸系)
図版目録
参考文献
【凡例】
・本巻には唐津焼の作品275点、304図を収録した。作品
と図版の数え方は、茶碗の場合、側面および高台で一点二図とした。
・図版配列の順序は、名品を主とした扱いをやめ、作風の展開のさまがわかるようにした。
・一部の原色図版については、右ページに図版、対面の左ページにその解説をつけた。その他の図版については、名称、目安としての寸法を付し、解説は145一175ページにおいて一括した。
・所蔵者については、博物館、美術館等に属するものは記載し、個人所有のものについては、これを省略した。
【作品解説】より一部紹介
奥高麗筒茶碗 銘ねのこ餅
Oku-gorai cylindrical tea bowl, known as "Nenoko-mochi"
高さ10.4cm 口径9.5cm 高台径5.5cm
利休所持と伝えられ、総箱蓋裏に「利休居士 筒三之内 所持 狂言袴枕木 ねのこ餅」と閑事庵宗信が書付しているので、古来利休所持三筒と称されている名碗である。また、内箱箱表に細川三斎が「子のこの餅」の銘を書きつけているが、その「子のこの餅」とは『源氏物語』のなかにただ一度出てくる特殊な意味をもった呼称である。かつて貴族社会の習慣に、陰暦十月初めの亥の日に、無病息災、あるいは子孫繁栄を祝って餅を食べる行事があり、それを亥の子餅と呼んだ。「子のこの餅」はそれに因む名称で、『源氏物語』の葵の巻に、源氏から紫に亥の子餅を勧める場面があり、その日が亥の日の翌日にあたっていたので「子のこ」と洒落て呼んだ。そして文中に、その子のこ餅の数について「三つが一つにてもあらむかし」とあるのに因んで、利休所持三筒の一つであったこの茶碗の銘としたのである。古典に通じていた細川三斎ならではの命名といえよう。
ところで、天正十九年(1591)に歿した千利休がこの茶碗を所持していたことは、茶陶唐津の焼造年代を推定する上でかなり大きな意味をもっている。この筒茶碗は雑器ではなく、明らかに茶碗として作られている。とすれば、意識的に作られた茶碗がすでに天正後期に焼かれていたことになり、これと同様の釉のかかった奥高麗手の茶碗の多くも、天正末年以前に焼造されていたと考えられる。
茶碗はやや厚手に素直に轆轤びきされ、その作振りは数多い唐津茶碗のなかでも古格を示すものである。しかも、姿はいかにも茶味があって味わい深く、枇杷色の釉膚も柔らかい。無造作に削り出された高台はいくぶん片薄になってざんぐりとした赤い土膚を見せ、腰には大きな指跡が残っている。
利休から細川三斎・高木玄斎・閑事庵宗信(坂本周斎)、今井源之丞、諏訪信当、鴻池家などを転伝したものである。
【唐津】より一部紹介
いわゆる唐津焼を焼いた窯は、佐賀県の東松浦郡、伊万里市、武雄市、有田町、佐世保市などに現在わかっている限りでも百基以上残っている。それらのなかで、最も古い窯と考えられているのは、東松浦郡北波多村の岸岳(鬼子岳)山麓に散在する窯である。岸岳は海抜300メートルの山で、かつて松浦党の領袖であった波多氏が、ここに山城を築いて居城とした地である。したがって、その山麓に窯が残っていることは、明らかに波多氏の管下にあった窯であることをうかがわせ、しかもそれらの窯が、いずれも北朝鮮系の割竹式登窯であったことは、いうまでもなく朝鮮から渡ってきた陶工によって始められた窯であることを物語っている。
唐津で最も古いとされている岸岳の窯がいつ頃から始まったかは、確かな文献が残っていないので判然としないが、水町和三郎氏、中里太郎右衛門氏などは、歴史的な背景や朝鮮の焼物との比較から、十五世紀前半には始まっていたのではないかと考察されている。たしかに、松浦党と朝鮮との関係から推測すると、歴史的に極めて長い年代にわたって朝鮮人陶工渡来の可能性をもっていたといえる。すなわち、岸岳城主が松浦党の領袖波多氏であったことは、松浦党が倭寇として大いに活躍した十四世紀から、十五、十六世紀にかけての歳遣船貿易の時代を通じ、朝鮮から陶工を連れて来たか、あるいは招いて築窯させるということが、その間いずれの時期でも可能であったといえる。しかし、その消息を物語る文献資料は、朝鮮側にも日本側にも今までのところ見あたらない。
中里太郎右衛門氏は著書『唐津』で、岸岳飯洞甕窯から出土した陶片中に、内部に青磁風に土灰釉(142ページ飯洞窯甕陶片写真のA、 B)、外側に白磁風に長石釉(A、 B)をかけたものがあり、これが十五世紀に韓国広州郡の道馬里で焼かれた内部青磁、外部白磁の磁器の破片と似ていることなどから、開窯を十五世紀前半と推測している。しかし、はたして飯洞甕の陶片が十五世紀前半にまで遡るかどうかは容易に断じ難い。もし、岸岳の主要な窯である飯洞甕窯や帆柱窯が十五世紀前半に始まっていたとするならば、十六世紀末までほぼ二百年近く窯煙をあげていたということになる。だが、かりに僅かな活動しかしていなかったとしても、二百年近くも窯を焚いていた跡としては、出土陶片などにその間の経過を示す変化がとぼしすぎるように思われる。そしてまた、単に波多氏関係のみの需要をまかなった一地方的な雑器窯であったとしても、二百年という長い時日を推測するにはいかにも資料にとぼしい。そうしたことから、私は十五世紀前半開窯説には疑問を抱いている。そして、おそらくその開窯は、早くともわが国で高麗茶碗の使用がしだいに流行するようになった天文年間前後のことではなかったかと推測している。ただ、岸岳詰窯の作風が北鮮系の陶法を源流としているように思われるので、その創始期については北鮮の古窯跡などの調査とも関連させて、今後の考究に待つことにしたい。
岸岳の飯洞甕下窯が十六世紀の末に終わっていたらしいことを、昭和四十六年に行なわれた島根大学浅海教授の熱残留磁気測定が示しているが、それは岸岳城主波多氏の滅亡とも時期がほぼ合致しているので、おそらく疑いのないところであろう。波多氏はおよそ四百年続いたが、文禄二年(1593)十六代波多三河守親にいたって、豊臣秀吉によって所領を没収され、滅んだのであった。と同時に、飯洞甕窯などの窯煙も絶えることになったらしいが、この窯から第7図の「彫唐津茶碗」と類似の陶片が出土していることは興味深い。
その作風が美濃で焼かれた志野に似ていることから、あるいは文禄役に際し、秀古の名護屋城滞陣に後備衆の一人として在番した古田織部重然の指導のもとに作られたものでは(以下略)
【作品解説】より一部紹介
茶碗
いつ頃からいい出されたのか判然とはしないが、茶碗を愛する人たちの間で「一井戸、ニ楽、三唐津」、または「一楽、二萩、三唐津」などといわれて、唐津の茶碗は侘茶の世界で愛玩されてきた。数多くの唐津の茶碗を見てみると、極めて茶味の豊かな作為的なものもあれば、いかにも素朴で茶趣味をさほど感じさせないものなど、多種多様である。もちろん常識的に判断すれば、作為のない素朴な作振りのものの方が早く生まれたと思われるが、この作風の変遷は今のところ判然としない。今日一般に見る唐津の茶碗の多くは、文禄慶長の頃から江戸前期にかけての作と見られているが、なかには文禄(1952~1595)、慶長(1596~1614)以前の作も含まれているように思われる。そしてなかでは、奥高麗手の茶碗が唐津茶碗のなかでは早い時期のものであったと考えられる。さらに飯洞甕下窯で焼かれた彫唐津茶碗も、天正後期に美濃で焼かれた志野や瀬戸黒と類似していることから慶長初期以前の作と思われ、唐津茶碗のなかでは古格を示すものといえる。織部好みの沓茶碗もかなり多く作られているが、それらも美濃の沓茶碗と考え合わせて、慶長年間前期から始まっていたにちがいない。次に伝世している唐津茶碗の種類をあげると、奥高麗、斑唐津・彫唐津、瀬戸唐津、三島唐津、黒唐津、絵唐津などがあり、奥高麗手のなかに米計、根抜、是閑唐津、中尾唐津があり、長石釉のかかった彫唐津に、彫りの上に鉄絵のある彫絵唐津といえるものがある。瀬戸唐津にも本手瀬戸唐津と皮鯨手の瀬戸唐津とがある。絵唐津は最も多種多様で、その焼造年代にはかなり幅があるように思われる。
54 奥高麗茶碗 是閑唐津 銘三宝 口径16.0cm重要文化財
是閑唐津という名称は、かつて中尾是閑という医師が所持していたことによるといわれる。またその人の好みで作られたとも伝えられるがさだかでない。焼造年代はおそらく慶長初期以前であろうが、窯も判然としない。やや端反り気味の棄朴な椀形の茶碗で、低く広い高台が削り出され、底から胴にかけては厚手に轆轤びきされ、どっしりとした重々しい趣の茶碗である。高台畳付は片薄高台で中央に兜巾が立っている。素地は小砂混りの粗いまで僅かに鉄分を含み、露胎の部分は褐色にこげている。土灰を含んだ長石釉が内面と胴裾にかけて厚くかかっているが、その釉膚はよく溶けてしっとりした柔らかみがある。
内面見込に梅花皮状の釉縮れがあり、小さい目跡が五つ残っている。胴の上部に石罅が一つあらわれて景色をなしている。最も作振りの優れた唐津茶碗として声価が高い。
ほか
【図版目録】より一部紹介 寸法、英文、指定(重要文化財等)、所蔵先記載
唐津 KARATSU WARE
奥高麗筒茶碗 銘ねのこ餅
Cylindrical tea bowl, known as Nenoko・mochi", Oku・gorai type
Mouth diameter 9.5 cm
奥高麗茶碗 糸屋唐津
Tea bowl known as "Itoya Karatsu", Oku・gorai type
Mouth diameter 15.4cm
奥高麗茶碗 銘深山路
Tea bowl, known as "Miyamaji", Oku・gorai type
Mouth diameter 13.6 cm
奥高麗茶碗 銘秋の夜 出光美術館
Tea bowl, known as Akino・yo", Oku・gorai type
Mouth diameter 15.2 cm Idemitsu Art Gallery
奥高麗茶碗 銘真蔵院
Tea bowl, known as Shinzo・in", Oku・gorai type
Mouth diameter 13.1 cm
(以降英文、寸法略)
唐津片身替茶碗
彫唐津茶碗
彫唐津茶碗 東京国立博物館
絵唐津菖蒲文茶碗
絵唐津草文茶碗
絵唐津筒茶碗
絵唐津木賊文茶碗
絵唐津山水文沓茶碗
瀬戸唐津皮鯨茶碗 滴翠美術館
斑唐津点斑文壺 重要文化財
斑唐津彫文壺
絵唐津葦文壺 出光美術館
絵唐津草文壺 出光美術館
絵唐津千鳥片輪車文壷
絵唐津草文壺
絵唐津樹木文壺
絵唐津柿文壺 出光美術館
絵唐津山文手付大鉢
絵唐津竹梅藤文鉢
絵唐津松文大皿 梅沢記念館
絵唐津枝垂柳文大皿 梅沢記念館
絵唐津耳付花生
朝鮮唐津耳付花生 出光美術館
朝鮮唐津耳付花生
唐津茶入 銘思河 畠山記念館
絵唐津肩衝茶入 東京国立博物館
朝鮮唐津水指
絵唐津網引文香炉
絵唐津月兎文香炉 畠山記念館
絵唐津薄文鉢
絵唐津菖蒲文鉢 サントリー美術館
絵唐津柳燕文沓鉢
絵唐津蒲公英文沓鉢
朝鮮唐津徳利 逸翁美術館
斑唐津ぐいのみ
朝鮮唐津徳利 畠山記念館
唐津ぐいのみ
唐津皮鯨ぐいのみ
絵唐津蔦文ぐいのみ
絵唐津木賊輪違文六角向付
絵唐津串団子文四方向付
絵唐津檜垣文四方向付
絵唐津橋文桃形向付
絵唐津飛鳥梅鉢文向付
絵唐津草花文四方向付 五客 五島美術館
絵唐津唐草文四方向付 三客
絵唐津草花文四方簡向付 五客
朝鮮唐津向付 五客
奥高麗茶碗 是閖唐津 銘三宝 重要文化財
奥高麗茶碗 中尾唐津
奥高麗茶碗
奥高麗茶碗 出光美術館
奥高麗茶碗 銘踞虎 逸翁美術館
奥高麗茶碗
奥高麗茶碗
朝鮮唐津茶碗
斑唐津茶碗
斑唐津茶碗
瀬戸唐津茶碗
瀬戸唐津茶碗 銘東雲
瀬戸唐津茶碗
瀬戸唐津茶碗 出光美術館
瀬戸唐津皮鯨茶碗 銘若竹
唐津茶碗
唐津馬上盃形茶碗
唐津石罅茶碗
彫絵唐津茶碗
彫絵唐津茶碗
絵唐津胴紐茶碗
唐津半筒茶碗
絵唐津草文茶碗
絵唐津草文茶碗
絵唐津屈輪文茶碗
絵唐津屈輪文茶碗 出光美術館
絵唐津鶴丸文茶碗
絵唐津丸十字文茶碗 出光美術館
絵唐津茶碗
絵唐津茶碗
絵唐津葦鷺文茶碗
絵唐津人物文茶碗
絵唐津釣人物文筒茶碗
絵唐津沓茶碗 滴翠美術館
絵唐津沓茶碗
絵唐津沓茶碗
絵唐津束熨斗文沓茶碗
絵唐津飛鳥文沓茶碗
絵唐津沓茶碗 梅沢記念館
絵唐津皮鯨沓茶碗
絵唐津網干文沓茶碗
黒唐津沓茶碗
唐津筒茶碗 梅沢記念館
唐津筒茶碗
唐津筒茶碗
絵唐津草花文茶碗
絵唐津丸文小服茶碗
絵唐津竹文茶碗
絵唐津茶碗
絵唐津胴紐茶碗
絵唐津茶碗 出光美術館
絵唐津茶碗 梅沢記念館
絵唐津柳文筒茶碗
絵唐津辰砂茶碗
唐津茶碗銘増鏡 出光美術館
唐津皮鯨茶碗 銘 末広
唐津皮鯨茶碗
絵唐津天目形茶碗 出光美術館
絵唐津的矢文天目形茶碗 出光美術館
絵唐津茶碗
黒唐津茶碗
黒唐津茶碗
黒唐津天目形茶碗
黒唐津茶碗
三島唐津茶碗
斑唐津壺
斑唐津壺
斑唐津壺 出光美術館
斑唐津壺
絵唐津壺
絵唐津草文壼
絵唐津壷
絵唐津草文壷
絵唐津葦文壷 日本民芸館
絵唐津葦文壷
絵唐津葦文壷出 光美術館
絵唐津水草 飛鳥文壷
絵唐津点斑文壷
絵唐津花弁文壷
絵唐津葦文壷 出光美術館
絵唐津草文壷
絵唐津壷
絵唐津丸文壷
絵唐津松文大皿 出光美術館
絵唐津草花文大平鉢 出光美術館
絵唐津菖蒲文大皿
絵唐津鉢 箱根美術館
絵唐津草花文手付大鉢 出光美術館
絵唐津唐草文大鉢 出光美術館
絵唐津葦文鉢 出光美術館
絵唐津胆礬草文大鉢
唐津片口 梅沢記念館
絵唐津草文片口
絵唐津片口 出光美術館
唐津片口 出光美術館
絵唐津点斑文沓鉢
絵唐津沓鉢
絵唐津沓鉢
絵唐津梅樹文鉢
絵唐津草文沓鉢
絵唐津草花文鉢
絵唐津葦文輪花小鉢
絵唐津水草文小鉢
絵唐津藤文四方皿
絵唐津弓矢文四方皿
絵唐津皿 梅沢記念館
絵唐津山水文小鉢 出光美術館
絵唐津高脚小鉢 梅沢記念館
絵唐津網干文小鉢
絵唐津小壺
絵唐津百合柳文高脚香炉 梅沢記念館
絵唐津盃台
絵唐津梅花文筒向付
絵唐津薄文四方筒向付
絵唐津薄文筒向付
絵唐津網干文筒向付
絵唐津山水文桃形筒向付
絵唐津草文筒向付 梅沢記念館
絵唐津柳燕文口四方向付
絵唐津口四方向付
絵唐津口四方向付
絵唐津網干文三葉形筒向付
絵唐津草文四方簡向付
絵唐津蓮葉形向付
絵唐津蓮葉形向付
絵唐津草文向付
絵唐津草文三角小鉢
絵唐津草文三角小鉢 出光美術館
絵唐津葦文撫四方向付 五客
絵唐津薄文四方向付 五客
絵唐津草花文四方向付 五客
絵唐津四方向付 五客
絵唐津唐草文輪花向付 五客
絵唐津薄文四方向付 五客
絵唐津薄文向付 五客
絵唐津薄文四方向付
絵唐津秋草文撫四方向付
絵唐津簿文四方向付 五客
絵唐津水草文四方向付
絵唐津草文皿
絵唐津水草文皿
絵唐津草文皿
絵唐津皿
絵唐津皿
三島唐津皿
絵唐津草文蛤形向付 五客
絵唐津水草文四方向付 二客
絵唐津撫四方向付 二客
絵唐津口四方向付 二客
絵唐津向付 二客
絵唐津桃形向付 二客
絵唐津草花文猪口
絵唐津草花文猪口 出光美術館
絵唐津草花文向付 三客
絵唐津草花文四方猪口
斑唐津小徳利
朝鮮唐津小徳利
朝鮮唐津手付徳利
朝鮮唐津徳利
唐津徳利
黒唐津徳利
斑唐津徳利
絵唐津竹文徳利
絵唐津草文徳利
朝鮮唐津六角大徳利 出光美術館
朝鮮唐津徳利
朝鮮唐津徳利
備前唐津徳利
斑唐津ぐいのみ
唐津皮鯨ぐいのみ
唐津ぐいのみ
唐津草文ぐいのみ
唐津ぐいのみ
白唐津ぐいのみ
絵唐津草文ぐいのみ
絵唐津草文ぐい呑み
絵唐津点斑文ぐい呑
絵唐津木賊文猪口
絵唐津草文猪口
黒唐津肩衝茶入
黒唐津茶入 銘 唐土
唐津茶入
絵唐津山水文水滴 出光美術館
絵唐津四方香合
絵唐津葦文香合 滴翠美術館
朝鮮唐津香炉
絵唐津橋文香炉
黒唐津香炉
絵唐津香炉
絵唐津梅樹文香炉
朝鮮唐津水指 銘 廬瀑 藤田美術館
朝鮮唐津耳付花生 出光美術館
黒唐津耳付花生
朝鮮唐津耳付花生
朝鮮唐津耳付花生
朝鮮唐津耳付花生